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怒ることを無理にやめようとしないで [心理]

「精神の流転
 なお執着は、必ず執着すべき事情があってはじめてそうなるのだから、
これに執着しないようにという思想の矛盾を捨てて、
そのままに執着すればよい。
そうすれば心は外界の刺げきに応じて変化しながら、
執着は自然になくなって行くのである。
「心は万境にしたがって転ず。
転ずるところ、実によく幽なり。
流れにしたがって性を認得すれば、
無喜また無憂なり」
という言葉がある。
私たちの心は周囲の事情の変化につれて、
常に絶えず移り変わるものである。
強く打てば大きく鳴り、
軽く当たればかすかに響く鐘の音のように、
その変化がなめらかで自由自在であることは、
まことに幽玄微妙である。
ちょうど鏡の前に、
物がくれば映り、
去ればなくなって影をもとどめないようなものである。
この心の流れのままに従っていれば、
そこに自己本来の性情を見ることができる。
その時には、
びはそのまま喜びであり、
憂いはそのまま憂いである。
ことさらに憂いを憂うる必要もなければ、
またよろこびを憂うることもできない。
思想をもってしても
何ともやりくりはつかないのである。
つまりここに苦痛の批判を超越し、
気分本位をすてて、
現実そのままの事実本位となるのである。」(改行アップル)

「怒ってはいけない」と思わないで
怒ったままの方が怒りは流れていくのでしょう
わかっているはずなのに
神経質の悲しさ
つい、
「ここで怒ってはいけない、
相手にも事情があるんだし」などと
無理にやりくりしようとして
自分の内面をみつめてしまい
怒りで手が震えることを意識したりすれば
強迫神経症のはじまり
かえって怒りが消えなくなって
そのままずっとくすぶって
こだわりが執着として残ってしまい
何度も思い出しては腹が立つ
という状態になりかけてしまいます

何だか、火と似ていますね
燃やし切れば灰になるけど
無理に火を小さくしようとすればいつまでも燻って消えない
ちょっとのきっかけでまた燃え上がる


怒った最初の段階で
無理に理屈をつけて怒りを消そうとせず
そのままにして
精神の流転にまかせるのが
一番、自分に苦痛が少なく、実生活では賢いやり方です。
森田先生はやはりすごい、と感心してしまいます。

私も今日理不尽な目にあいました
隣接地の電柱工事を
地主が相談なく我が家に密接して移設工事すると
電力会社が言ってきました。
地主には数年前から
その電柱を我が家から離してほしいと
頼んであったのにもかかわらず、です。
その地主には工事の騒音で悩まされました。
その後砂利の駐車場にされて車のアイドリングと
砂利と段差をタイヤがこすれる音にも悩まされました
森田療法のおかげで
今はそれらの音は全く気にならなくなりました

また家を建てるらしく
工事が始まるようです
電柱の場所も工事も地主の土地だから
私にはどうすることもできません
無力だな、と思います




森田先生の本は今でも毎日読んでいるので
以前のように音に対してのひどい症状に戻ることは
ありえないと思っています

でも、今日は不意打ちをくらったので
つい内面に目が行き
ほんの一時、怒りで手が震えたことを意識してしまいました
これはダメだと思い直し
やるべきことを淡々と行いました
それでも怒りは半日の間
だんだん自然に減ってきましたが
時折思い出して軽い恐怖感をもちました
何への恐怖か追求せずそのままにしておくと
すぐ恐怖は消えました
それを数回繰り返し
今は恐怖感はどこかへいきました
不動産業者についても
昼間の怒りは今はなくなりました
でもその地主はきらいですし
そういう理不尽が通るということが
いいとは思ってはいません。
不快感はありますが激しいものではありません
そして前向きに、
建てられるのが家でよかった
工場だったり資材置き場だったら工事の後も
ずっとうるさいだろうから。
と思っています

なんでこんなことで怒るんだろうと自分を責めることは
今はしません。
神経質な私でなくても
きっと怒りを感じるはずだ、と思ったからです
以前なら
いろいろ理屈をつけて
怒ってはいけない
近所だし
トラブルになったらいけないし、
などと無理に怒りを収めようとし、
怒る自分を寛容ではないと責めていました

ブッダがこの世は苦の娑婆と言ったとおり
いろいろ日々理不尽なことが起こりますね
嫌なことは
やがて自然に消えていくまで
そのままに執着しきりましょう!
2017-06-15記


2017-06-15 21:54  nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
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神経質だから内向的とは限らない [心理]

私の場合、心配性だし神経質なのですが
森田神経質のテストをしても神経質にはなりません。
小さいときから自分から声をかけて
誰とでも仲良くなったり
人前でしゃべることも平気な子でした。
ただ、森田先生のおっしゃる「内向的」は
私が今書いた
いわゆる「外向的」の反対語ではありませんよね?
神経質だけど外向的な人は存在すると思います


私の場合は
小さいころ親に
私が何かに敏感に反応すると「神経質だ」と、
その行動を否定的に言われました
神経質イコール悪いこと、と刷り込まれて育ったから
そういう部分をなるべく外に出さないように
努力して得たのが
今の自分の
人から見た時の姿だと思っています
さっぱりしている、竹を割ったようだ、などと
他人は私を評して言います

質問紙に書かれたものに
自分が思ったとおりに回答しているつもりでも、
実は子供の時に得た親の価値観から出発した
現在のなりたい自分を
回答していれば、
森田神経質にはあてはまらなくなってしまいます
神経質な子は敏感に
親の要望に応えようとするので
親が神経質であることに否定的だと
私のようになる人もいるでしょう

母の死後、音が気になりだして
森田療法を知って初めて
自分が森田神経質であるという事を
知りました
神経質と知っていたから森田療法を選んだのではなく
症状から神経質な人がなると知って
じゃあ自分は神経質なんだと悟ったという事です

母が亡くなっていたということも大きいと思います
だから素直に自分は森田神経質なんだと認められたのでしょう
自分の性格さえ自分が思っているものと違うとは
と思いますが
子供が親に注目されたくて
ぜんそくになってしまうという話もあるぐらいですから
親に気に入られようと
神経質な部分を出さないようにするぐらい
子供は簡単にやるでしょう

母が生きていたら、
森田先生の話をして
神経質は決して悪いものではないと教えてあげられたのに、
とも思います

そういうわけで私の場合は神経質である部分を認めたことで
神経質であるのは恥ずべきこと、
という自分の中のルールが無くなって
大分楽になりました
それに加えて、神経質であることの
良い部分を誇ることができるようになり
同じように神経質を恥として悩んでいる人に
良い部分を教えてあげることができるようになりました

神経質であることは
鈍感力がある人と同様
すばらしいことですよ
(2017-06-02記)

タグ:神経質


2017-06-08 15:58  nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
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お母さんと折り合いが悪く神経症になった人に [心理]

家を出て恋人のところへいって
同棲するか結婚され
ご自分の家族とは距離を取って
話の分かるお父様とお話しする
というのはいかがですか?

そうすればお母さんの愚痴を聞いて
体調が悪くなることもなくなるし
恋人の事で悩む必要もなくなります
あとは恋人が
一緒に暮らすのを
同意してくれるかどうかですが
あなたの
ご実家での苦境をきいても
同居してくれないとしたら
その恋人ってはたして本当の恋人なんでしょうか?

ご自分の神経症の原因が
お母さんとわかっているのに
神経症にしがみついて
新しい生活に飛び込まない言い訳をしているだけに見えます
新しい生活に飛び込むのは
勇気がいるでしょうが
神経症は病気ではないので
愛する人と新しい家族を作っていく方向で
恋人と話し合いをしてみてはいかがでしょう?(2017-06-01記)

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2017-06-08 15:52  nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
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