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誰でも取り柄がある? [心理]

中部大学の武田邦彦先生が、
ブログの中http://takedanet.com/2014/04/post_765a.html
「人には誰でも取り柄がある」という言葉で
人はかえって不幸になっていると
おっしゃっています。

「取り柄が大切と聞くと「そうだな」と思います。さらに「算数ができなくても、野球ができなくても、その人の良いところが必ずある。それを探さなければ」と言われるとさらにそう信じてしまいます。
ところがなかなかそれが見当たりません。そこで「自分探し」などが始まり、さらに迷い込むのです。そう、この言葉には不幸を招く二つのトリックがあるからです。まず「取り柄がある人は少ない」こと、第二に「取り柄は幸福になるのに役に立たない」ということです。」(武田先生のブログより)

武田先生はテレビで斬新なことをいわれます。
たとえば国民がリサイクルに熱心になっていた時期に、
ペットボトルのリサイクルにはコストがかかり、
かえって環境に悪いから、
燃やした方がよい、と言われていました。
今、私の住む自治体近郊でも、
厳しい分別を廃止して、
ペットボトルを燃えるごみとして集めている事実を見ると、
それが暴論ではなかったことがわかります。

先生のブログ全部を読んだわけではありませんが
マスコミとは異なる、
違う角度で物事をみているのでなるほどと思うことがあるのです。

この取り柄論もなるほどと思いました。
40歳を過ぎて、
自分にも何か成し遂げられるのではないか
と思っていた若いときと違い
自分がなにものか、わかってくるということは
自分には取り柄というのか、人より優れていると誇れるものなんて
ないという現実。

たとえば趣味をやめずに続けている
ボランテイアをやっている
共感性が高い
神様を信じている

それを取り柄というならそうかもしれません
でも

趣味は一般人に比べれば少しはうまいかもしれないけれど
天才的な人にくらべればそれで生活できるわけでもない
ボランテイアを続けてやっていてもそんな人たくさんいるし・・
共感性が高いばかりに人の悩みを一緒に悩んでしまい、
泣く人とともに泣くことはできても
むしろ共感性の低い人の方が幸せにみえる
パウロさんは新約聖書の中で
神様を信じる心だけしか
自分には誇れるものはないと
おっしゃっていましたね。
二千年も名前が残っている人でも
取り柄はそれしかないとご自分では思ったのでしょうか。
わたしなど、現代に踏み絵があって脅迫されたら
さっさと踏んでしまいそうな弱い心で
聖人の方たちの迫害に耐えぬいた信仰からみたら
あまりにささやかすぎて
とても誇りにできないような信仰心で申し訳ない。

などなどと、私には人にほこれる取り柄など、ないのです。
まだ何か取り柄があるかもと思って探し続けたら、
これだ、というものがみつかるのでしょうか。
見つかる前に、天国によばれそうです。
ああ、パウロさんが
「弱い」ということを誇る、とも言われていました。
それなら、私も声を大にして誇れます。
でもそれって、取り柄???


取り柄がある一握りの人はそれはそれで
持てる者の苦労があるでしょう。

「取り柄がないこと」を不幸に思うのではなく、
「それが普通」
取り柄ある人のように
波乱万丈の人生ではないけれど、
普通であることこそ幸せと思うことで
心の平安が得られるかもしれませんね。

毎日食べるご飯や水があり、
洗濯した清潔な服がきられる。
(かゆいけど)体のどこも動けないほど痛くなく
屋根がついている部屋で
生活し寝ることができる
(眠れない夜があると、夜寝られることが幸せとわかります)
仕事に通う程度の心身の健康を保つ夫がおり
子供が機嫌よく学校に通ってくれる。

取り柄がない私でも
幸福を感じる事柄はたくさんありますね。



タグ:取り柄